2017-08

現在日本は民主主義か ~松下圭一理論を検証する~

2017・北海道自治体学土曜講座 第3回 7月22日(土)
 主題 現在日本は民主主義か ~松下圭一理論を検証する~

以下は当日の論点である。
1 憲法が180度転換をしたにも拘らず、明治憲法理論の「国家」「国家統治」の観念が存続するのはなぜか
2 学者は松下理論(著作)」を「読まないことにしている」のはなぜであろうか

71年前(1945年)、日本中が焼け野原になりポツダム宣言(無条件降伏)を受諾した。
食べる物も無くなり「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。憲法は「国家主権」から「国民主権」の憲法に180度転換したのである。ところが、多数の学者は「国家主権」「国家統治」を現在も言説している。なぜ「偽民主主義の理論」が続いているのであろうか。

民主主義は「市民の自治・共和」である。「国家の統治」ではない。
民主政治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。
民主主義の政治理論は「市民と政府の理論」「政府信託の理論」「政府制御の理論」「信託解除権の理論」でなくてはならない。
市民は国家に統治される被治者ではない。
 [(注)「国民」の語は、長年の(国家三要素説)の弊害で、国籍の有無によって(生活権や政治参加などの)基本人権を否認されるから、「人々=People=Citizen」の「市民」の語を使用するのが良い]

(1) 明治初年に「国権か民権か」の自由民権運動が起こり、伊藤博文はドイツに赴いた
そのドイツは、イギリス市民革命・アメリカ独立革命・フランス市民革命に驚愕したドイツ皇帝が「立憲君主制の憲法」で専制支配を続けていた。「立憲君主制」は「国家」を隠れ蓑にする皇帝専制の偽民主政治制度である。
 伊藤はドイツから「国家理論」と「立憲君主制」を持ち帰って「立憲君主憲法」をつくり、渡辺洪基・東京帝国大学総長に「国家学ノ研究ヲ振興シ、普ク国民ヲシテ立憲ノ本義ト其運用トヲ知ラシムルコト(国家の観念を教え込むこと)ガ極メテ必要」と助言して、1887年2月、東京帝国大学内に「国家学会」を設立し「国家学会雑誌」を発行して「国家学」を正統学とした。
 さらに『私立法律学校特別監督条規』をつくって、今日の主要私大法学部の前身である私立法律学校を東京帝国大学法学部の統制下においた。そして天皇機関説事件などを経て「国家統治」に疑念を抱くことも禁圧した。
以来、大学の講義は「国家が国民を統治支配する国家学」であった。
かくして、現在も「憲法は国家統治の基本法である」「国家が国民を統治する」の講義が続いている。なぜ続いているのか。

(2) 註解日本国憲法
 1947〜1949年、東京帝国大学の学者12人が「註解日本国憲法」なる逐条解説書(上・中・下)を分担執筆して刊行した。
 つい直前まで「国家統治」に疑念を抱くことすら厳しく禁圧されていたのであるから、帝国大学の学者が「国家統治」の観念から自由になることはできる筈もなかった。
 分担執筆を提案した田中二郎は、その後も「国家の優越的地位の論理」を自身の著作に書き続けた。例えば、行政法の標準的教科書とされた1964年刊行の『新版行政法』(弘文堂)には、「行政法は、支配権者としての国・公共団体等の行政主体とこれに服すべき人民との間の法律関係の定めであることを本則とする」「行政法は、支配権者たる行政主体の組織に関する法、及び、原則として、かような行政主体と私人との間の命令・支配に関する法であり、公共の福祉を目的として、国又は公共団体が一方的に規制することを建前とする点に特色が認められる」と叙述した。驚くべき反民主主義の国家統治の見解である。

 この見解が「註解日本国憲法」の基本認識である。
すなわち、行政が「公」であり、国民は「行政客体」の「私人」であった。この基本認識が「日本公法学会」「憲法学会」を主導したのである。かくして「憲法は変われども国家統治は変わらず」が存続しているのである。

(3) 学者は自由に発想できない
国家官僚への公務員試験も、法曹界への司法試験も、「国家統治の国家学の答案」でなければ合格できない(させない)シクミになっているから、憲法学者は自由に発想できないのである。松下理論の「市民自治」「市民政府」「政府信託理論」に賛同すると、長年習得し自分も講義している「国家統治の憲法理論」の根幹が崩れる。だから(憲法学者は松下理論の著作を読まないことにしている) のである。
「学会の通説に従わない少数意見になり」「国家試験の出題委員にもなれなくなる」からである。学者は市民自治の民主主義理論に反論出来なくても「みんなで渡れば怖くない」である。
 だがしかし、
「国家」は、権力の座に在る者の「隠れ蓑」の言葉である。「国家」は擬制の言葉である。
「国家三要素説」は「団体概念」と「機構概念」をないまぜにした非論理的説明である。「国家」を統治主体にするための言説である。国家法人論」は美濃部達吉の明治憲法時代の「国家統治理論」である。

(4) 学者の憲法理論  
 NPO法人さっぽろ自由学校「遊」が2014年5月に開講した「民主主義講座」の(第三回講座)は「立憲制と民主主義」であった。
憲法学者の90分の講義には「市民」「政府」「市民自治」の言葉は一語も出なかった。用語は「国家」「国家統治」「国家主権」「国家三要素」であった。
受講者の「国民主権と国家主権はどう違うのか」の質問には答え(られ)ず曖昧にはぐらかした。受講者の質問は、「立法・司法・行政の権限」は「国家の権限」なのか、国民が信託した「政府」の「代表権限」であるのか、を質したのである。
国家試験の最適教科書と評される芦部信喜「憲法(岩波書店)」の、第1頁第1行は「国家統治」であり「国家三要素説」であり「国家法人理論」である。最近刊行の若手学者の憲法教科書も同様である。

 2004年4月、イラクで3人の日本人が拘束されたとき、中東の衛星テレビ局アルジャジーラ放送が伝えた現地声明は、「日本の人々には友情すらも抱いている。だが日本の政府のリーダーは米国のブッシュ大統領と手を組んで軍隊をイラクに出動させた。3日以内に撤退を始めなければ、拘束した3人を焼き殺す」であった。日本のテレビは「アルジャジーラ放送」をそのまま報道した。肉親家族はもとより日本の人々は大いに驚愕した。ところが、翌朝の新聞・テレビは、「政府のリーダーは」の部分を削除して「あなたがたの国は」に改めた。マスメディアに「足並みそろえて」改竄させたのは誰であるか、その改竄は何を意味していたか。国民の「政府責任追及」をはぐらかすためである。

民主政治の主体は「国家」ではない。国家は意思主体ではない。擬制の言葉である。民主主義の主体は「市民と政府」である。主権者である市民が代表権限を政府に信託するのである。政府の権限は「国家の統治権」ではない。市民が信託した代表権限である。

(5) 松下理論
1975年に岩波新書「市民自治の憲法理論(松下圭一)」が刊行されたとき、憲法学者も行政法学者も政治学者も誰も反論できなかった。「松下ショック」と言われた。(大塚信一『松下圭一 日本を変える』トランスビュー2014年刊-序章17頁)
 「市民自治の憲法理論」には、民主主義は「国家が市民を統治する」ではない。人々(=市民=People=Citizen)が民主社会の主人公である。政治主体は「国家」ではない。「市民」である。民主主義は「国家統治」ではない。「市民自治」である、と明快に叙述されていた。
市民自治とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。選挙は白紙委任ではない、選挙は「信頼委託契約」である。政府が代表権限を逸脱するときは「信託契約」を解除する。これが国民主権であると明快に書かれていた。
学者は「松下理論」に反論できないので「学会」をつくり「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家が統治権の主体である」と講義して現在に至っている。そして毎年、その教育を受けた学生が社会人になっている。

松下圭一氏は東京大学の学部在学中に、イギリス市民革命を理論化した「ジョン・ロック」を研究して、岩波書店から「市民政治理論の形成」を刊行した。岩波新書「市民自治の憲法理論」「日本の自治・分権」「政治・行政の考え方」の編集担当であり、後に岩波書店の代表取締役社長を務めた大塚信一氏は、2014年11月、松下理論の主要著作を検証して『松下圭一日本を変える』(357頁)を刊行した。 

2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」でNHKは、吉田松陰の「松下村塾」に脚光を当てた。その意図を問題なしとはしないが、それはさておき、現在日本には「二つの松下村塾」がある。一つは、松下幸之助氏の「松下政経塾」である。おびただしい輩出議員の数である。だが、その議員は「国家統治」を信奉し推進する人たちである。
もう一つは、松下理論の「市民自治」に賛同し自身の「思考の座標軸」を見定める人々である。全国各地に多数の方々がいる。

2017・北海道自治体学土曜講座 第3回 7月22日(土)
現在日本は民主主義か 
~松下圭一理論を検証する~

山内亮史(旭川大学学長) 
内田和浩(北海学園大学教授)
池田賢太(弁護士)
河上暁弘(広島市立大学准教授) 
村上 昇(元自治労北海道書記局) 
高橋 悟(日本文化行政研究会会員) 
森 啓(自治体政策研究所)
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トランプを生んだもう一つのアメリカ

   トランプを生んだもうひとつのアメリカ
         自治体政策研究所理事・高橋 悟

  
 2016年のアメリカ大統領選挙を「『狂人』対『犯罪者』の戦い」と評したのは、レーガン元大統領のスピーチライターを務めたペギー・ヌーナン氏。また、民主党大統領候補の座をヒラリー・クリントン氏と最後まで争ったバーニー・サンダース氏は、トランプについて「私の生涯で、主要政党から浮上した最悪の候補者。こいつはこの国にとって大きな災難」とまで言い切った。
 ところがである。大統領選挙において勝利の女神が微笑んだのは、ドナルド・トランプ氏であった。世界が愕然した2016年11月9日。
 何故、ヒラリーは破れトランプは勝利したのか。多くの識者がさまざまな分析・解説を試みているが、今にいたるも「何故?」という疑問符は消えない。

 2017年1月20日、トランプは正式に第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。多くのメディアは、その就任セレモニーへの参加者がオバマ前大統領に比べ格段に少なかったことや、世界各地で反トランプのデモが起きたことを伝えた。
 さらに、トランプ新大統領への好感度が40%と過去40年間で最低であることや、支持率が45%と極めて低いことを伝えた。
 しかし・・・私は考える。
 むしろ40%ものアメリカ国民がトランプに好感を持ち、45%のアメリカ国民がトランプを支持している事実こそ驚くべきことではないかと。
 本選挙でのトランプの得票は、6、297万票に及び、ヒラリー・クリントンに280万票余り少ないとはいえ、過去の共和党の大統領候補と比較すると、2004年のブッシュ(子)、2008年のマケイン、2012年のロムニーを、いずれも上回っているのである。

 トランプは、選挙運動期間中、人種、宗教、性別などについて差別的発言を繰り返した。彼が「暴言王」と言われる所以のひとつはここにある。被差別者や少数者への寛容さが「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)として求められる現代において、これは命取りである、と、多くの識者は考えた。人種差別、女性差別を公言する人物が、まさか大統領になるはずがないと。
 しかし・・・私は考える。
 むしろ、その数々の暴言にこそ、トランプを大統領にした秘密があるのではないかと。

 アメリカは、ふたつの顔を持っている。ひとつは進歩的で開放的でリベラルなアメリカ。オバマ前大統領に代表されるアメリカだ。もう1つは、その反対のアメリカ。保守的で閉鎖的で差別を容認するアメリカである。
 私たちは、アメリカというと、東海岸のニューヨークや西海岸のサンフランシスコなど、自由で開放的な大都市を思い浮かべる。しかしアメリカは広い。ディープサウスとよばれる南部では、今なお根強い人種的偏見が存在している。また南部に限らず白人至上主義的な考え方を持つ人も多い。これは経済だけでは説明できない根深さ、奥深さを持つ。
 トランプを大統領選で勝利させたのは他でもない、このもうひとつのアメリカである。差別と偏見に満ちたもうひとつのアメリカが、トランプの暴言に共鳴、共感し、彼を大統領に押し上げた。これが今回の大統領選挙の実相ではないだろうか。

 今後、憂慮すべきは、合衆国最高裁判所が1950年代から積み重ねてきた人種差別撤廃等の進歩的な司法判断がトランプ政権のもとで覆えることである。最高裁判所判事の指名は大統領が行うこととなっており、今後、トランプが保守的な判事を指名することが予想されるからだ。これまで「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)の言わば旗振り役であったアメリカの変節は世界に大きな影響を与えることとなろう。アメリカ国内はもとより世界中でヘイト・クライム(人種的な憎しみを動機とする犯罪や事件)が増加するに違いない。
 もう1つのアメリカが開けたトランプという名のパンドラの箱。今、世界は、その箱から出てくる「恐怖」の前に戦々恐々としている。
 神話では最後に「希望」が残るはずなのだが・・・・。

[勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし](野村克也)

                      

自治体学会の運営

 自治体学会の運営

1 自治体学会の現状    
 1986年5月23日、「自治体学会」が横浜で誕生した。
 近代日本の夜明けを象徴する横浜開港記念会館で「発起人会議」と「設立総会」を開いた。
 発起人会議には135人、設立総会には620人が出席した。
 出席者の顔触れは、自治体職員、市民、学者、シンクタンク職員、コンサルタント、ジャーナリスト、団体役員、自治体首長など、およそ学会の設立総会とは思えないほどに多彩な顔触れであった。
 発起人会議の提案で「自治体学の創造と研鑽」を会則第2条に定めた。

・自治体学会は設立時の理念を保持しているであろうか。
・自治体学の研鑽を継続しているであろうか。
・会員数は増えているか。魅力を失ってはいないか。
・会費は自治体職員中心の学会として妥当な額であろうか。
・全国大会の参会者は充実感に満ちて帰途についているか。
・同窓会的な状況になってはいないか

2 運営委員会
 運営委員会は会員の理論水準を高める「研究討論会」と「政策シンポジゥム」を適格に企画し開催しているであろうか。
例えば、
1 北国のある自治体学会の運営委員会で、「原発問題を次回政策シンポのテーマに」と運営委員が提案した。代表委員が「それは政治問題だから」「重たい問題であるから」と消極意見を表明した。他の運営委員は沈黙した。「原発問題は政策シンポのテーマ」にならなかった。

 なぜ他の運営委員は沈黙したのか。代表委員が消極意見を述べたからか。それとも代表委員と同じ考えであったからなのか。運営委員会に自由闊達の雰囲気が消失しているのではあるまいか。   

「原発問題」は現在日本の最大の問題である。「原発は国のエネルギー政策の問題であって自治体の問題ではない」との見解表明がよくなされる。だがそれは(原子力村の人たちの)意図的言説である。現に何万人という人が自宅に帰れない深刻な地域問題であるのだ。自治体の政策問題である。
  
 自治体学会は研究団体である。運動団体ではない。運動団体ではないが自治体学会は会員それぞれが「自身の思考の座標軸」をより確かなものにする場である。
 「沖縄問題」と「原発問題」は、現在日本の最大の政策問題である。最大の政策問題について会員が自由率直な政策意見を交流しないなら自治体学会ではない。

 運営委員会の役割は自由闊達な研究討論の場を設営することである。「政治問題だから」の理由で政策討論を避けるのは正当な運営委員会ではない。避けるのは(もしかして)代表委員が「行政当局によく思われたいから」の私心が働いたからかもしれない。とすれば自治体学会の代表委員としてはまことにふさわしくない。とかくに任期を重ねた長期在任の代表委員にはその傾向がありがちである。その傾向とは「自治体学会の在り方」よりも「自分に対する行政当局の評価」を優先する傾向である。 
 
 因みに、この自治体学会は会員相互の情報共有に必要な「メーリング」を中断しており、再開を求める会員の声も封じているとのことである。そして運営委員会のメーリングも会員は見ることができない。運営を「会員に知られたくない」ということである。そのためか「会費未納会員」が増えているとのことである。
 全国の自治体学会にも (運営委員会と代表委員に) 同様の問題が生じているのではあるまいか。

2 交付税削減の兵糧攻で市町村合併が促進されたとき、「長と議会の合併決定」に対して「住民の意思を聴いてからにせよ」と「住民投票条例制定を求める署名運動」が全国各地に起きた。この署名運動を「代表民主制度への問題提起」と見るか、「代表民主制度への介入」と考えるか、代表民主制度の重要論点であった)。
 
このとき、学者会員の多くは「合併促進の側の委員」に就任した。そして「私は合併には中立です」と言明した。「特例債と兵糧攻」で3200の市町村が1700に減少したのである。
自治体学会が、公開の「研究討論会」を企画開催したならば、あるいは「合併は何であったのか」の検証討論会を開催するならば、自治体学会の存在意味が高まったであろう。

3.自治基本条例の制定が全国に広がった。地方分権が現実化し始めた証左である。だが「制定手続き」をめぐって見解が分かれている。(栗山町議会基本条例の根本的欠陥)
この基本条例制定手続の「見解の違い」をテーマにした「公開研究討論会」を開催するならば、自治体学会の求心力は高まったであろう。 

自治体学会の活力源泉は自由闊達な論議にある。
自治体学会の活力低下は運営委員会の問題意識に因があるのではあるまいか。   


松下圭一「市民自治の政治理論」を読む (五回講座)

 松下圭一「市民自治の政治理論」を読む (五回講座)

場所 さっぽろ自由学校「遊」
テキスト 松下圭一「政策型思考と政治」(東大出版会)       
講座内容  本書は「松下市民政治理論」の基本書である。
第一章から第五章までを熟読して「市民政治理論」の基本論点を理解する。

第一章 政治・政策と市民 (11月2日)
 現代社会は、水道も下水も、道路もバスも電車も、電気もガスも、つまり生活の全てが、(政策と制度) の網の目の中で営まれる。市民生活に直結する政策・制度を政府(官僚)に任せておいたのでは「お上の政治」から脱却することはできない。
 ・「都市型社会」とはどのような社会か。
 ・都市型社会 の「市民と政府の関係」を考える
 
第二章 都市型社会の政策 (12月7日)
 工業文明の発達進展で人々の「生活様式・生活意識」が平準化して、資本主義か社会主義かの(かつての)体制選択が幻想であったことが明瞭になる。論点は官僚主導の政策・制度を如何にして市民制御に転換するかである。
  ・生活様式(暮らし方)の平準化によって人々の政治意識はどう変わるのか
  ・都市型社会と男女平等社会はどのように関連するのか
 
第三章 「近代化」と政策の歴史 (1月11日)
 近代化とは(工業化と民主化)のことである。工業化が進展して前例なき公共課題(大気汚染・河川汚濁・温暖化・都市景観・緑地減少・現代的貧困)が噴出して、[福祉政策・環境政策・都市政策]が不可欠必要になる。
・「シビルミニマム」とは何か、言葉が広がったのはなぜか
・前例なき公共課題の解決には「市民参加」が必要となる論拠を考える 
 
第四章 分権化・国際化・文化化 (2月7日)
都市型社会が成熟して自治・共和型の「市民」が大量に醸成される。
「国家」をめぐる問題状況も一変する。自治体が地方政府として自立する。
 ・住民と市民の違いを考察して討論する
 ・自治体が政府である理由と論拠を学ぶ
   
第五章 日本の政策条件 (3月7日)
ヨーロッパで16~17世紀に始まった近代の「ステート」を、日本では「国家」と翻訳して「国家統治の観念」をつくった。その「国家観念」は (絶対・無謬・包括)の官僚統治であった。しかしながら政府の権限は市民が信託(契約)した権限である。
 ・国家法人理論と政府信託理論の違いを学ぶ。
 ・信託契約解除理論(ロックの革命権理論)を考察する

松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」(五回講座)

松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」(五回講座)を 「さっぽろ自由学校・遊」で、六月一日から始めます。
詳細は下記をご覧ください。
http://www.sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php 

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