2015-07

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追悼 松下圭一先生  
 -会報・さっぽろ自由学校「遊」7月号-

1 国会では、安倍普三がアメリカの戦争に加担するため、デタラメ答弁を繰り返し「憲法違反の戦争法案」を、国会会期を延長して、自民・公明の多数議席で強行採決しようとしている。これは、祖父岸信介の「安保条約の強行採決」と同じ「民主主義を蹂躙する」やり方である。
 沖縄では、辺野古に軍港と空港を兼ね備えた本格基地を、暴力的に(カメラに写らないときは殴り蹴りして) 建設工事を強行している。
 本土の人々は、沖縄の基地の苦しみに無関心である。日本政府は「基地の地位協定」の改定交渉を一度も行っていない。
 沖縄の人々は、自分達の「祖国復帰運動」は何であったのか、と今「沖縄の自己決定・沖縄独立」の声が起きている。  

2 政府も官僚も、防衛・外交の権限は「国家の権限」であると言う。国会議員も言う。学者の多くもそう思っている。人々も「国家の権限」だと思っている(思わせられている)。「国家」の観念は擬制である。明治憲法のとき伊藤博文がドイツから持ち帰ったコトバである。「ドイツ皇帝の専制支配を存続するための擬似理論」のコトバである。そして「国家三要素説」は二重概念の騙し説明である。

3 40年前(1975年)、松下さんは岩波新書「市民自治の憲法理論」で、民主主義の主人公は「市民」(=People=Citizen)である。民主主義は「国家が国民を統治する」ではない。「市民が政府を組織し制御し交代させる」である。政府の権限は市民が信託した権限である、と明快に述べた。この本が刊行されたとき、憲法学・行政法学・政治学の学者は誰一人も反論できなかった。当時「松下ショック」と言われた。そして2003年刊行の「都市型社会の防衛論争」(公人の友社)で、「防衛権」も「外交権」も、本来は「市民の権利」である。政府の外交・防衛の権限は市民が信託した権限である。信託は信頼委託である。白紙委任ではないと明晰に論述した。

4 70年前(1946年)、「天皇主権の憲法」から「国民主権の憲法」に転換した。だが「国家統治の論理」は存続した。なぜであろうか。長い間、「国家統治」が正統学とされ「国家」に疑念を抱くことも厳しく禁圧された。だから、学者は「国家」「国家統治」「国家主権」の観念から脱することが出来なかった。
 
5 松下さんの「市民自治の理論」に反論できない学者は、「学会」をつくり「みんなで渡れば怖くない」と、「国民主権」を「国家主権」と言い換えて、「国家に統治権あり」と今も講義しているのである。その講義で学んだ学生が毎年春に社会人になっている。

6 「日本人の生命を危うく」し「国際社会での日本の信頼を低下させて」いる安倍政権の支持率が、急落しないのはなぜであろうか。メディアが萎縮し報道するべきことを報道していないからであろう。だが騙されるのは人々の思考力が劣化しているからである。今必要なのは、松下さんが55年に亘って創り続けた「市民自治の理論」である。自由学校「遊」の役割は、「思考の座標軸」を見定めて「考える力」を高めることにある。

  松下圭一先生は、2015年5月6日、85歳で逝去された。
  心からなる追悼は「松下理論」が多くの方々に伝わることであると思う。
  本年5月から、さっぽろ自由学校「遊」で、講座「民主主義の理論・松下圭一を読む」を開講した。
  そして、北海道自治体学土曜講座も再開した。     (森 啓)
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追悼・松下圭一先生

追悼・松下圭一先生

1 70年前(1945)、日本中が焼野原になり食べる物も無くなり、「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。その憲法を、安倍普三(自民・公明) が破り棄て「戦争をする国」にしようとしている。
 戦前は、「国家統治」に疑念を抱く者はキビシク禁圧された。そして文部省が「国家統治」を教えこんだ。だから今も、人々は心の奥底に「国家」「統治」「服従」が残っている。  
 憲法は「国民主権の民主主義」になったが「国家が国民を統治する」は変わらなかった。
いつの時代も、権力者は「コトバ」で人々を騙す。そして人々は騙され自分の命さえも奪われる。憲法は民主主義になったが、人々の心に「民主主義」は根付いていない。
 安倍普三の支持率が下落しないのはなぜか。考える力が劣弱になっているからだ。
 大学では今も、「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家が統治権の主体である」と教えている。毎年、その教育を受けた学生が社会人になっている。

2 40年前(1975)、岩波新書「市民自治の憲法理論」(松下圭一) が刊行された。
 この本には、民主主義は「国家が市民を統治する」ではない。人々(市民=People=Citizen)が社会の主人公である。民主政治の主体は「国家」ではない「市民」である。民主主義は「国家統治」でなく「市民自治」である、と明快に叙述されていた。
 市民自治とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。選挙は白紙委任ではない。選挙は「信頼委託契約」である。政府が逸脱するときは「信託契約」を解除する。これが国民主権である、と書かれていた。 
 この本が刊行されたとき、憲法学者も政治学者も誰も反論できなかった。「松下シヨック」と言われた。

3 松下圭一は、イギリス市民革命を理論化した「ジョン・ロック」を研究して、東大の学部在学中に、岩波書店から「市民政治理論の形成」を刊行した。
 「市民自治の憲法理論」、「日本の自治・分権」、「政治・行政の考え方」の編集担当であり、後に岩波書店の代表取締役社長を勤めた大塚信一氏は、2014年1月、松下の主要著作を全検証して「松下圭一日本を変える」(354頁)を刊行した。
  筆者は、北海道大学で5年、北海学園大学で10年、松下理論の基本書「政策型思考と政治」(東大出版会) を大学院でテキストにした。 

4 松下先生は、北海道自治土曜講座(1995年から16年間、継続開催)に、講師として6回札幌に来てくださった。北海道には松下理論に馴染んだ多数の市民と自治体職員がいる。
 NHKは、大河ドラマ「花燃ゆ」で吉田松陰の「松下村塾」に脚光を当てた。その意図を問題なしとはしないが、それはさておき、現在日本には「二つの松下村塾」がある。
 一つは松下幸之助の「松下政経塾」である。おびただしい議員の数である。だが、その議員は「国家統治」を信奉し推進する人達である。もう一つは、松下理論の「市民自治」に賛同し自身の「思考の座標軸」を見定める人々である。全国各地に多数の方々がいる。

5 松下圭一先生は、2015年5月6日、85歳で逝去された。
 心からなる追悼は、「松下理論」が多くの方々に伝わることであると思う。
 本年5月から、さっぽろ自由学校「遊」で、講座「民主主義の理論・松下圭一を読む」を開講した。そして、北海道自治体学土曜講座を再開した。   (森 啓)

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